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つじやの歴史

江戸時代末期の料理人・
辻じゅんが伝えた故郷の味。

つじやの生い立ち

つじやの歴史は現店主から四代前にさかのぼります。江戸時代末期に六郷から大曲に移り住んだ初代・辻じゅんは、この町きっての豆腐巻物の料理人であり、地主やお金持ちの家で催される大きなお祝い事の仕切りを頼まれる町一番の名人でした。

大正末期まで秋田県大曲・仙北地方の大きな結婚式やお祝いごとには、必ず豆腐かまぼこ(当時は豆腐巻物)がご祝儀や不祝儀などの口取りとして振る舞われました。豆腐かまぼこは、この地方のご祝儀や不祝儀などの口取りとして、無くてはならないものでした。
現代のようにホテルや宴会場の無かった時代、祝い事などは地主の屋敷や各家で催されることが主で、その際には町の料理人が呼ばれ、一切の仕切り・調理を任されました。この地方では、冠婚葬祭に随分贅沢にお金をかける習慣があり、裕福な地主が多かったため、大きな宴では半月前から料理の準備をすることがざらだったそうです。

そんな町料理人だった初代・辻じゅんから「つじやの豆富かまぼこ」が始まったのです。

結婚式、慶事、仏事に。受け継がれる伝統

料理人の仕事と豆腐かまぼこの味は、初代じゅんから嫁のサヨに受け継がれ、大正中頃にサヨの子・弥太郎(三代目)が秋田市の老舗和菓子屋での菓子修行から戻り、大正3年に大曲土屋館(現在の中通町)に店舗兼工房を構え、和菓子の販売を始めました。弥太郎の妻・ヤスが義母サヨから受け継いでいた豆腐かまぼこに、弥太郎が和菓子職人の技術を用いた独自の工夫を加え、『つじやの豆富かまぼこ』として販売を始めたのです。

また古くからこの地方で『みそ』、『はなみそ』として家庭で作られ親しまれていた餅菓子をベースに、市中では『さんばいみそ』という餅菓子が売られていました。弥太郎は独自の工夫で独特な味わいを持つ『つじやの三杯もち』を創り出しました。

使い込まれ、大切にされる道具の数々。

弥太郎の子・久男が四代目としてその後を受け継ぎ、昭和46年に店舗を建て替え、昭和54年には工房を福住町に移転しました。平成19年に帰郷した久男の子・卓也が五代目を継ぎ、現在に至ります。
お茶うけや進物としてご利用頂くほか、古くからの慣習を尊重し、今でも結婚式や慶事・仏事などにつじやの豆富かまぼこと三杯もちがお使いいただいております。

「豆腐かまぼこ」と「みそ」「さんばいみそ」は、大曲・仙北地方に伝わる郷土菓子です。豆腐かまぼこ・さんばいみその材料・味・外見は、それぞれの料理人・菓子店によって異なっていました。
『つじやの豆富かまぼこ』は、大曲の地で初代じゅんから代々女性が製法を受け継いできた、辻家の母親の味なのです。

地域でも全国でも認められた、
秋田県南地域の特産品

つじやの豆富かまぼこ・三杯もちは、地域に根付いた郷土菓子という歴史と、その独特な食感・美味しさが全国的に認められ好評をいただいております。



つじやの豆富かまぼこは、全国に数え切れないほどある豆腐を素材とした食品・菓子の中で、その独自さが非常に希有で特徴的なものだそうです。
他の地域に類したものが少なく、この地方独特のものであって、専門家の方々が取り上げ、ご紹介いただくことも多々ございます。

◆地元の方が選んだ秋田県南地域の特産品です。
平成18年に大曲商工会議所が市民を対象に行った「大仙市の特産品は何?」というアンケートで、つじやの三杯もちは2位に、同じく、豆富かまぼこが3位になりました。多くの地元の方に認知いただいていることは本当にありがたいことです。

つじやを育んだ秋田県大仙市大曲

平成の大合併で大曲市と周辺町村が一緒になり現在は大仙市となりました。
毎年8月の第四土曜日に雄物川沿いの広大な河川敷で開催される全国花火競技大会は、華麗さ、規模共に全国的に有名です。

大曲・仙北平野は昔から豊穣な農業地域で、特に米は雄物川の水運を利用して秋田から北前船で関西まで運ばれていました。その水運の要所として商業の街として栄えました。

江戸から明治にかけては米、茶、タバコ、生糸、蚕種、麻糸、木綿、藍などの農産物に恵まれた土地で、特に麻は名産品だったことから、大曲の語源は『大麻刈』であるとも言われています。